ハイチ地震後に発生したコレラ


発生時期と初動
ハイチでは2010年10月20から21日にコレラ(Vibrio cholerae O1, Ogawa, El Tor)が初めて公式確認されました。
地震の約10か月後のことです。
流行初期の症例は中央県ミレバレ(Mirebalais)近郊・メイエ支流から始まり、下流のアルティボニト川流域で一気に拡大しました。

ハイチでの「初」流行
それ以前の約1世紀以上、ハイチではコレラ流行の記録がありませんでした。この「免疫のなさ」も被害拡大の一因です。

起源(導入源)についての科学的結論
流行株は南アジア系統で、人為的導入が最も妥当という分子疫学の結論が示されました(ゲノム比較・系統解析)。
タイミング的にもネパールからの国連平和維持要員(MINUSTAH)の交代派遣(2010年10月上旬)と一致します。

UN独立調査パネル(2011年)の結論
ハイチ北中部のUN基地(ミレバレ近郊)からの不適切な排泄物処理により、メイエ川からアルティボニト川へとが汚染され、そこから広範に感染が拡大したと結論づけています。

UNの公式対応
当初は因果関係を否定していたものの、2016年12月に国連事務総長(潘基文)がハイチでのコレラに対する国連の役割について謝罪と新アプローチを表明しました。

規模と被害
2010年以降の流行で82万例超・約1万人死亡が報告されています(累計)。

なぜ広がったか(拡大要因)
地震で上下水道・医療・住環境が崩壊し、河川水への依存、避難民の集中、衛生施設の不足、雨季などが重なりました。
公衆衛生の基盤脆弱性(当時、改善水源アクセス63%、簡易トイレ17%など)も指摘されています。

社会的影響(混乱・暴力)
2010年11月にはUNへの抗議・騒乱が複数都市で発生し、治安部隊との衝突も報じられました。

トムソン・ロイター・ファウンデーションニュース

途中にあった論争・誤解(のちに決着したもの)

「環境(気候)起源」仮説
当初「海洋などの在来V. choleraeが環境要因で病原化した」とする仮説も提案されましたが、分子疫学・疫学の証拠は
“人為的導入”を強く支持し、気候要因単独説は支持されませんでした。

UN側の初期説明
当初、UN側は「ネパール部隊に症状はなかった/陽性者はいない」と主張しましたが、派遣時の検査自体が実施されていなかったことが後に指摘されています(=「いない」と断定できる状況ではなかった)。

法的責任の追及と免責
被害者側は米国で賠償請求訴訟を起こしましたが、国連の広範な免責が認められ、訴えは退けられました(Georges v. United Nations, 2016年)。

噂・誤情報(根拠なし/不正確:噂は噂として記載)

「UNが“故意に”コレラを持ち込んだ」
故意・生物兵器・陰謀といった主張は証拠がありません。科学的検証は「不適切な衛生管理による“過失的な汚染・人為的導入”」を支持しています。

「魔術・粉を撒いて感染させた」
一部地域ではヴードゥー指導者が“魔術で病気を広めた”という噂が広まり、リンチを含む暴力事件が多数報告されました。これは医学的に誤りであり、水系感染が主な経路です。

「空気感染する」「塩素は危険で消毒すべきでない」
コレラは主に汚染水・食品の経口摂取で感染します。塩素消毒や安全な水の確保は有効な対策です。空気感染を示す科学的証拠はありません。

「ワクチンが流行を起こした」
事実ではありません。口腔コレラワクチン(OCV)は予防効果が確認され、流行後期に実施されたキャンペーンも被害軽減策の一つとして用いられました。

まとめ(全体像)

地震で脆弱になった水と衛生の基盤の上に、UN部隊基地の不適切な排泄物管理から南アジア系統のコレラ菌が河川へ導入→全国的流行という経路が、疫学・分子解析・調査報告で裏付けられています。
2010年以降の累積で82万例超/約1万人死亡。UNは2016年に謝罪を表明しました。
(補足:2022年秋に再興(再流行)が確認されていますが、これは2010年直後の出来事ではなく、別途の文脈です。必要なら経緯も解説します。)

参考(主要ソース)
UN独立調査パネル最終報告、NEJMの分子疫学研究、CDC・PAHOの速報・総括、2016年の国連事務総長声明、ならびに当時の報道(Reuters等の暴動・リンチ報道)を基に整理しました。必要なら、図解のタイムラインや地図付きで再構成します。