リスクホメオスタシス理論


リスクホメオスタシス理論(Risk Homeostasis Theory, RHT)は、安全や危険に関する人間の行動を説明する理論のひとつです。


提唱者:ゲラルト・J・S・ワイルド(Gerald J. S. Wilde)
出身・経歴
オーストリア生まれのカナダ人心理学者。
カナダ・クイーンズ大学(オンタリオ州キングストン)の心理学部教授を務めた人物です。
●専門分野
交通心理学・リスク行動・安全管理。
●代表的業績
1982年に「リスクホメオスタシス理論(RHT)」を提唱し、1994年に著書 Target Risk を出版。この本で「人は受け入れ可能なリスク水準を持ち、それを超えたり下回ったりすると行動を調整する」という考えを詳しく説明しました。
理論の中核:リスクホメオスタシス
ホメオスタシスとは、生体が一定の状態を保とうとする性質(例:体温調節)。リスクホメオスタシス理論は、この概念を「リスク行動」に当てはめています。
つまり、人は「自分が容認できるリスク水準(目標リスク、target risk)」を持っており、それを基準にして行動を調整する、というものです。
安全装置やルールでリスクが下がると → かえって大胆な行動をとり、危険にさらされる。
危険が増すと → 慎重になり、安全行動をとる。
結果として「事故率や死傷率はあまり変わらない」ことがある、という指摘です。


事例
・シートベルトの導入
シートベルトが義務化された当初、死亡事故が大きく減ると期待されました。
ところがワイルドによれば、ドライバーは「守られている」という安心感から、スピードを上げたり、車間距離を詰めたりし、事故率自体はあまり減らなかった。
一方で「歩行者や自転車」といった非保護者の被害が増えるケースも指摘されました。
・ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)
ABSが普及したことで「急ブレーキでも止まれる」と思い、逆にスピードを出す運転者が増えた。
結果、事故発生率は大きく減らず、「事故の種類(スリップ→追突など)」が変化したに過ぎなかったという研究が報告されています。
・スキー場のヘルメット着用
ヘルメット着用者は頭部の重傷リスクは減らせるが、「防御されている」という心理からスピードを上げ、衝突事故が増える傾向がある。
・交通法規・道路改良
横断歩道に信号を設置すると「渡れる」と安心した歩行者が確認せずに飛び出すようになり、かえって事故が増えることがある。
・批判と限界
すべての人が「一定のリスク許容量」を持っていると仮定している点に批判がある。
実際には「安全技術によって事故率が大きく減少した」事例(航空機や医療機器の改良など)も多い。
そのため「必ずしもリスクは均衡に戻るとは限らない」「文化・教育・インセンティブで変化できる」との反論もあります。
●まとめ
人 物:ゲラルト・J・S・ワイルド(カナダの心理学者)。
理 論:人は「目標リスク水準」を持ち、それに合わせて行動を調整する。
事 例:シートベルト・ABS・ヘルメットなど、安全装置でかえって危険行動が増える場合。
意 義:単に安全技術を導入するだけでなく、人々のリスク認知や行動心理に注目する必要を示した。